トレモロ1 指輪がない
「指輪が無い」
中尉に昇進したため、SP詰め所の隣に個室を与えられたカルナラは、その、まだ片付いていない部屋のなかでウロウロと歩きながら焦っていた。
「どこまで着けてたっけ。いや、外したの、いつだ?」
覚えが無い。
大体、シザークから貰った、王家の竜の紋章のある大事な指輪を、カルナラがそう簡単に外すわけはないのだ。なのに、今、彼の左手には見当たらない。
「どうしよう」
と、言ったって、探すしかないのだが。
必死に記憶を辿ってみた。
「昨日の夜、シザークと……した時には、付けてた……と思う」
「朝は、どうだったかな。中尉昇進の通達が来て慌てて、あちこち奔走したから」
指輪を付けて、もう何年になるか。既に付け心地に違和感のなくなったものだから、最近は気に留めることもなかった。
ブツブツ独り言を言いながら何とか思い出そうと努力していると、ドアの方からいきなりシザークの声がした。
「入るぞ。あのさ……」
「はっ、はい!」
カルナラはとっさに左手をゆっくり後ろに回した。子供じゃあるまいし、そんな時間稼ぎをしても仕方がないとは思いつつも、やはりシザークの怒る顔は見たくない。できるだけ自然に会話を続けようとした。
「何かご用が?」
「ああ……って、何だよ、これ。ちっとも片付いてないじゃん」
十二畳程の部屋の床には、箱にも入れずにそのまま運ばれて来たと思われる書類や本が散乱している。
「今朝ですよ? 昇進の通達が来たの。それから荷物をこの部屋に移したんですから、そんなに早く片付くわけないじゃないですか」
「まあ、そうだけど。手伝おうか?」
「はっ?」
「冗談。自分の部屋も片付けた事ないのに、オレが出来るわけないよな。あははは!」
両手を腰につけ仁王立ちしたまま、シザークが豪快に笑う姿を見て、カルナラは苦笑いした。やはり言えない。とんでもない事になりそうな予感がする。
カルナラは再び、訊ねた。
「そ、それで? ご用は?」
「あ、そうだった。実はさ、ナスタが昇進祝いに今晩パーティーしてくれるって」
「え? パーティーですか?」
「そ。『たまにはカルナラにもいい思いさせてやら無いと』なんて言ってたけど、きっと退屈してんだよ、ナスタのヤツ」
シザークは笑っていたけれど、カルナラには笑うことができず顔は引きつっていた。 なんだその『いい思い』というのは……
今までのことを考えるときっと碌な事ではないはずだ。
あの時も、あの時も、あの時も。
過去が走馬灯のように蘇る。すべて消し去りたい過去だ。
指輪も見つからない上に、美獣が手招きしている檻に入らなくてはならないのか?
カルナラの葛藤を他所にシザークは上機嫌だった。
「で、そんときにナスタにリクエストされたんだけど……お前、ナスタが用意した衣装着て、雛壇に上がれってさ。なんかすっごいヤツ用意してるって言ってたから」
カルナラは目の前が真っ暗になった、と確かに感じた。なのにシザークは能天気にこんな事まで言い出した。
「うわー、ワクワクするよな! 最近仕事ばっかでお前もオレもこういう楽しみがなかっただろ? あ、そうだ。オレのも用意しといてくれって頼んでおこうかな」
「いえ! それはお止めください!」
カルナラは慌てて首をブンブンと振る。
自分の分は、もう諦めるしかないだろう。相手はナスタだ。いくら拒否したところで叶うはずは、"決して"ない。だが、まだシザークの方なら望みがある。
それにしても、ちょっと考えただけで、その衣装とやらがトンでもない物なのはわかりそうなのに、どうして、目の前のこの人はこう素直に解釈するのだ。
「なんで?」
「危険だからです!」
「はあ? 何言ってんの?」
両肩に手を乗せ鬼気迫る勢いで反対するカルナラに、シザークが押されて肩を引く。
「せっかくナスタが祝ってくれるって言うのに、何が不満なんだよ?」
「そ、それは、つまり……」
「つまり、何?」
「つ、つまり……」
逆にシザークに咎められ、カルナラは言葉を濁した。
「理由も無しにナスタの好意にケチつけるのか?」
シザークが眉を寄せて、カルナラに詰め寄る。
「すみません。ナスタ様の事ですから何があるかと……」
「つまり、ナスタの好意が信じられないってのか?」
「いえ、あの……」
シザークに気圧 され、カルナラは自分の失言を悔やんだ。
『二人の確執を考えたら、今のナスタ様との関係は本当に良くなってる。もともとブラコン気味のシザークが怒るのも無理が無いかも……』
と、自分の失言を棚に上げ、カルナラが事態の収拾を考え始めた時、眉間に皺を寄せたままのシザークが言った。
「オレの命令! カルナラは黙ってオレに従うこと!」
「は……はい!」
いきなり強い口調で言われ、カルナラは思わず姿勢を正した。
シザークは眉間を手で伸ばしながらふふっと笑う。
「わかればよろしい。じゃ、夕方迎えに来るから、部屋の片付け頑張れよ」
頬に軽く触れるようなキスを贈り、シザークは入ってきたドアから出て行った。軽く手を振られ、その笑顔に思わずその顔に見とれてしまう。
今日のシザークは生き生きとしている。ナスタの企画が余程楽しみらしい。
久々のオフになる。ナスタ主催のパーティはおそらく彼の住む別邸で行われるはずだ。誰にも気を遣わず楽しくやれることだろう。
(ナスタ様も決して悪いお人ではない。祝ってくれるというのであれば、素直にご好意を受け取ろう)
今まで頭の中に渦巻いていたものを強引に片隅に押し退け、シャツのボタンをひとつはずした。
そうと決まれば早く荷物を整理しなくてはならない。
「それと指輪だ。本当にどこへ行ったんだ……?」
つぶやいたその時、扉が勢い良く開いた。
中尉に昇進したため、SP詰め所の隣に個室を与えられたカルナラは、その、まだ片付いていない部屋のなかでウロウロと歩きながら焦っていた。
「どこまで着けてたっけ。いや、外したの、いつだ?」
覚えが無い。
大体、シザークから貰った、王家の竜の紋章のある大事な指輪を、カルナラがそう簡単に外すわけはないのだ。なのに、今、彼の左手には見当たらない。
「どうしよう」
と、言ったって、探すしかないのだが。
必死に記憶を辿ってみた。
「昨日の夜、シザークと……した時には、付けてた……と思う」
「朝は、どうだったかな。中尉昇進の通達が来て慌てて、あちこち奔走したから」
指輪を付けて、もう何年になるか。既に付け心地に違和感のなくなったものだから、最近は気に留めることもなかった。
ブツブツ独り言を言いながら何とか思い出そうと努力していると、ドアの方からいきなりシザークの声がした。
「入るぞ。あのさ……」
「はっ、はい!」
カルナラはとっさに左手をゆっくり後ろに回した。子供じゃあるまいし、そんな時間稼ぎをしても仕方がないとは思いつつも、やはりシザークの怒る顔は見たくない。できるだけ自然に会話を続けようとした。
「何かご用が?」
「ああ……って、何だよ、これ。ちっとも片付いてないじゃん」
十二畳程の部屋の床には、箱にも入れずにそのまま運ばれて来たと思われる書類や本が散乱している。
「今朝ですよ? 昇進の通達が来たの。それから荷物をこの部屋に移したんですから、そんなに早く片付くわけないじゃないですか」
「まあ、そうだけど。手伝おうか?」
「はっ?」
「冗談。自分の部屋も片付けた事ないのに、オレが出来るわけないよな。あははは!」
両手を腰につけ仁王立ちしたまま、シザークが豪快に笑う姿を見て、カルナラは苦笑いした。やはり言えない。とんでもない事になりそうな予感がする。
カルナラは再び、訊ねた。
「そ、それで? ご用は?」
「あ、そうだった。実はさ、ナスタが昇進祝いに今晩パーティーしてくれるって」
「え? パーティーですか?」
「そ。『たまにはカルナラにもいい思いさせてやら無いと』なんて言ってたけど、きっと退屈してんだよ、ナスタのヤツ」
シザークは笑っていたけれど、カルナラには笑うことができず顔は引きつっていた。 なんだその『いい思い』というのは……
今までのことを考えるときっと碌な事ではないはずだ。
あの時も、あの時も、あの時も。
過去が走馬灯のように蘇る。すべて消し去りたい過去だ。
指輪も見つからない上に、美獣が手招きしている檻に入らなくてはならないのか?
カルナラの葛藤を他所にシザークは上機嫌だった。
「で、そんときにナスタにリクエストされたんだけど……お前、ナスタが用意した衣装着て、雛壇に上がれってさ。なんかすっごいヤツ用意してるって言ってたから」
カルナラは目の前が真っ暗になった、と確かに感じた。なのにシザークは能天気にこんな事まで言い出した。
「うわー、ワクワクするよな! 最近仕事ばっかでお前もオレもこういう楽しみがなかっただろ? あ、そうだ。オレのも用意しといてくれって頼んでおこうかな」
「いえ! それはお止めください!」
カルナラは慌てて首をブンブンと振る。
自分の分は、もう諦めるしかないだろう。相手はナスタだ。いくら拒否したところで叶うはずは、"決して"ない。だが、まだシザークの方なら望みがある。
それにしても、ちょっと考えただけで、その衣装とやらがトンでもない物なのはわかりそうなのに、どうして、目の前のこの人はこう素直に解釈するのだ。
「なんで?」
「危険だからです!」
「はあ? 何言ってんの?」
両肩に手を乗せ鬼気迫る勢いで反対するカルナラに、シザークが押されて肩を引く。
「せっかくナスタが祝ってくれるって言うのに、何が不満なんだよ?」
「そ、それは、つまり……」
「つまり、何?」
「つ、つまり……」
逆にシザークに咎められ、カルナラは言葉を濁した。
「理由も無しにナスタの好意にケチつけるのか?」
シザークが眉を寄せて、カルナラに詰め寄る。
「すみません。ナスタ様の事ですから何があるかと……」
「つまり、ナスタの好意が信じられないってのか?」
「いえ、あの……」
シザークに
『二人の確執を考えたら、今のナスタ様との関係は本当に良くなってる。もともとブラコン気味のシザークが怒るのも無理が無いかも……』
と、自分の失言を棚に上げ、カルナラが事態の収拾を考え始めた時、眉間に皺を寄せたままのシザークが言った。
「オレの命令! カルナラは黙ってオレに従うこと!」
「は……はい!」
いきなり強い口調で言われ、カルナラは思わず姿勢を正した。
シザークは眉間を手で伸ばしながらふふっと笑う。
「わかればよろしい。じゃ、夕方迎えに来るから、部屋の片付け頑張れよ」
頬に軽く触れるようなキスを贈り、シザークは入ってきたドアから出て行った。軽く手を振られ、その笑顔に思わずその顔に見とれてしまう。
今日のシザークは生き生きとしている。ナスタの企画が余程楽しみらしい。
久々のオフになる。ナスタ主催のパーティはおそらく彼の住む別邸で行われるはずだ。誰にも気を遣わず楽しくやれることだろう。
(ナスタ様も決して悪いお人ではない。祝ってくれるというのであれば、素直にご好意を受け取ろう)
今まで頭の中に渦巻いていたものを強引に片隅に押し退け、シャツのボタンをひとつはずした。
そうと決まれば早く荷物を整理しなくてはならない。
「それと指輪だ。本当にどこへ行ったんだ……?」
つぶやいたその時、扉が勢い良く開いた。