一人、また一人といなくなっていく教室。
 遠くで誰かが誰かを呼ぶ声がする。
 早く帰れと促す教師の声も聞こえてくる。
 ランニング中のどこかの部活の掛け声、ブラスバンドの音。
 あちこちから響いてくる放課後の雑音の中、その言葉だけがやけに鮮明に耳に届いた。

「彼って、今誰か好きなコいるのかな」

 最後の一人になってしまったのは、特に何って理由があったわけじゃない。
 用事があったわけでもなくて、ホントにコレ、ただの偶然。
 それでも教室を覗いたその子にとっては、どうやら偶然以上の意味があったらしい。

「ねぇ、知ってる?」

 恥ずかしそうに顔を赤くして、手をぎゅっと握り締めて。
 そんな彼女を目の前にして、俺はちゃんと普通にできていただろうか。

 ――ヤバい。

 緊急事態発生と、頭の中でアラームが鳴り響く。
 周りの音は消え去って、脳ミソがフル回転し始める。

 俺の目線よりさらに低い身長、細い線、華奢な身体、サラサラの長い髪。
 何度あいつの口から熱く語られたかわからない「かわいいヒト」が今俺の目の前にいる。
 聞かされる度にジリジリと締め付けられて、苦しくてたまらなかった。
 それでも笑って聞いていたのは、あいつの『隣』にずっとい続けるため。
 あいつとの親友歴と、俺の片思いの時間はほぼ等しい。

 ――おいおい、冗談じゃないぞ……両想いってか!?

 彼女の欲しがってる答えをあげるのはカンタン。
 でもどうしてもそれができない事情ってもんがこっちにはある。

 ――さて、どうする?

 あいつの『隣』は渡せない。
 抑えようのない独占欲が、冷静な思考をどんどんかき乱していく。

「あ……」
「あ……」

 気付いたのはほぼ同時。
 踵を踏んだ靴を引き摺るような、独特なあの足音。
 近付いてくる……まったく! あいつのKYはいつものコトだけどさ。
 でも、なんだって! よりによってこのタイミングで!?


 ――不意に……腹ん中で、真っ黒いもんがどろどろ蠢きだした。


「ごめん。渡さないよ?」

 喰らえ! 捨て身のこの一撃!!
 半ばやけっぱち、一発逆転狙いの大暴走。
 あいつの視線をひしひし感じながら、俺は彼女に長い長いキスをした。

 頭は急激に冴えてきて、周りの音が戻ってくる。
 ランニング中のどこかの部活の掛け声、ブラスバンドの音。
 あちこちから響いてくる放課後の雑音の中、あいつの漏らした溜息が小さく俺の耳に届いた。

 ――さぁ、どうする?

 蒼い顔して戸惑う彼女に1ミリの同情すら感じない。
 当たり前でしょ。必死だもの、こっちだって。
 今の見たよな? あいつはどう思ったかな!?
 俺に持ってかれると思った?
 俺を盗られるって思ってくれた?
 どっちでもいい……あいつにはこんなんでもいい牽制になったハズ。

 教室を出ると、すぐ横の壁際に小さくなってた。

「……お前、何やってんの?」

 おずおずと後から出てきた彼女が、あいつを見るなり真っ赤になって走り去る。
 おいおい、何それその顔。鼻の下ぁ伸びきってんぞ?

「で、いつからいたの?」

 開き直って、ここぞとばかりあいつを見下ろす。
 瞬間、目を瞠って……何そのすげーマヌケ面。

「どうした?」

 何もないって言うけれど、でもちょっとだけ、様子がおかしい?
 それとも気のせいなんだろうか。戸惑いと共に伝わってくる、初めての……この熱さ。

「何……その、好きだったの?」

 おい、お前。
 それって誰の事を言ってる?

「そうだよ。ずっと好きだった」
「へ、へぇ……」
「……気付かなかった?」

 親友から告られてんだぞ。
 お前それ、わかってる?

「本人に頼まれちゃーねぇ。こっちも背に腹は変えられないからさ……大逆転狙いの、強硬手段。わかる?」

 ――ってか、わかれ。わかれよ、バカ。

 そんな言葉をぐっと呑み込み、すぐ隣に並んで座る。
 一人でぐるぐるしてるっぽいけど、いったいどれだけわかってるんだか。

「どうかした?」

 追い討ちかけて聞いてみたら……やるじゃん。切り返してきた。

「で? 大逆転ってのは? うまくいったわけ?」

 さぁ……どうかな。つか何なの、その上擦った声。
 でもこの様子じゃおそらく……きっと。

「うん、たぶんね……」

 思わず笑みが零れてしまった。

「そりゃ、楽しみだね。この先」

 ホントにね。
 伝わっててくれたら、最高なんだけど。

「あぁ、楽しみだね。こっちもいいかげん長いからね……片思い」

 何を考え込んでんだか……俺の気も知らないで。

「あっそ。そりゃ気付かなくて悪かったね」
「ホントにね。遅いんだよ、お前は」

 くさびはたぶん打ち込んだ、ハズ。
 あとはあのコをどうするかだよなぁ……。
 切羽詰っていたとはいえ、あーあ、俺ってばチューしちゃったよ!

「じゃ、俺、行くね」

 軽めに言って、肩を叩いて、俺はその場をあとにした。

 いつの間にかブラスバンドは合奏を始めてて、聞こえてきたのはコンバットマーチ。
 さっきの俺の渾身の一撃は、一発逆転サヨナラとなるのか!?
 窓の外には、ちぎれながらもゆっくりと流れる雲。
 少しだけ軽くなった気持ちに気が付いて、俺は大きく深呼吸をした。


< あとがき >
企画に乗じてBL作品、再び……です。
「青天の霹靂」の視点を変えたanother versionになります。
感想などお聞かせいただけると嬉しいです。

 かぶ (鏑矢トシキ)