ある日の放課後……――――。
 知人のキスシーンというものを、初めて目撃してしまった。

 こともあろうに俺がずっと好きだった子と、俺の親友というキャスティング。
 さすがに何の用事で教室に戻ったかも頭から消し飛び、咄嗟に壁に隠れ、立ち去るタイミングを逸してしまって今に至る。

 ――おいおい、マジかよ!?

 静かな廊下。耳につくのは自分の鼓動の音だけで、どうやら身動き一つも取れそうにない。

 ――どうしたもんかな、この状況……。

 壁を背にしゃがみ込んで、廊下の高い窓から見える空だけをただぼんやりと眺める。
 視界の中で、若干紫がかってきた雲がゆっくりと流れていく。
 くっそー、今何時だ? なんでまた隠れちったかなぁ、俺。あのまま走り去っときゃ良かった。
 いや、待て待て。待てよ、俺。むしろ殴りこんでも良かったんじゃねーの?
 俺があの子好きなの、あいつ知ってるハズじゃん? なのに何アレ……ちょっとひどくね!?

「はぁ……」

 無意識に漏らした溜息が、物音一つしない廊下に響く。

 ――やべっ。

 慌てて口を抑えて壁にはり付くとか、あぁもう、何やってんの、俺!?
 腹が立つやら情けないやら。っつーか、俺もそうだとか一言くらい言っとけっての! こっちにも覚悟ってもんがさ……ねぇ。
 どうしたもんだか、さっきの光景が目に焼きついちゃってて、どうにもこうにも消せそうにない。

 少し丸く屈んだ背中だとか。
 そっと添えられた指だとか。
 背中に回された腕だとか。
 今までに一度だって見た事のない、あの表情だって……。

 ――あれ?

 はたと気付く。あれ……何かおかしくないか?
 だってそうだろ? 今の全部、俺の親友のコトじゃんか!!

 ――おいおいおいおい、待てよ? 待て待て、落ち着け俺ェ!!

 膝ごと頭を抱える俺。鼓動の速さはさっきまでとは比べものになんないくらい。
 え? 何ちょっと、どういう事よ?
 え? えぇ? えぇぇぇえええええ?????


 ガラッ――。


 静寂をやぶり、教室から出てきたのは俺の親友。
 当然、俺にも気付くわけで……。

「あ……」
「……お前、何やってんの?」

 ホント、何やってんの、俺。
 顔を上げた視線の先には恥ずかしそうな女の子の顔。

「あー……」

 思わず声が漏れる。途端、顔を真っ赤にして走り去る後ろ姿。
 翻るスカート。生足が丸見え、眼福です。どうもありがとう。

「で、いつからいたの?」

 冷ややかな声が降ってくる。俺の隣に立ったまま、壁に寄りかかって腕を組む。
 重いっ。このプレッシャー、いささか理不尽過ぎやしねぇか?
 ゆっくりと見上げた先に、まさかのドヤ顔なあいつ。


 瞬間――。

 呼吸が止まる。それはまるで雷に打たれたような衝撃。
 例えるなら、そう。――青天の霹靂。


「どうした?」

 不思議そうに言われたけど、そんなもん、答えられるはずがない。

「いや、何もねぇし……」

 絞り出した言葉が震えている。くそっ、みっともねぇ。
 落ち着け。とにかく立て直せ、俺!

「何……その、好きだったの?」

 とりあえず聞いてみる。
 今となっては、どうでもいいその問いは、あいつにどう届くのだろうか。

「そうだよ。ずっと好きだった」
「へ、へぇ……」
「……気付かなかった?」

 言葉はただすり抜けるだけ。残るのは、思いもしなかった痛み。
 うわー、マジですか。俺、そうだったんですか。

「本人に頼まれちゃーねぇ。こっちも背に腹は変えられないからさ……大逆転狙いの、強硬手段。わかる?」

 そう言ってすぐ隣に並んで座る。
 投げ出した腕が、さっきの光景と重なる。この腕が……。

「わかんねぇ〜」

 口を突いて出た言葉は、どっちつかずな俺の本音。
 くそっ、マジかよ、俺っ!

「どうかした?」

 そう聞いてくるあいつは、どこか楽しげで、今の俺にはかなり堪える。

「で? 大逆転ってのは? うまくいったわけ?」

 上擦る声が、我ながら情けない。
 そしたらあいつ、今まで見た事もないような笑顔でこう言いやがった。

「うん、たぶんね……」

 うーわ、なんだよ、その顔。マジムカつくんだけど!
 いや、怒っていいところなんだろうけど、今となっては何に対して怒ればいいんだか、当の俺にもさっぱりで。
 ただ行く先を見失ったハズのベクトルが、今、はっきりと、俺の隣にいるあいつの方へ。
 こりゃもう認めるしかないが、認めたところで既に結果が先に出ている現実。

「そりゃ、楽しみだね。この先」

 皮肉混じりに言ってはみたが、何を言っても後の祭。負け犬の遠吠えにすらならない始末。
 そんな俺の気も知らないで、隣のあいつは俺から視線を逸らすこともしない。
 なんだよ、それ。勝者の余裕ってヤツですか!
 ってか、勝負する前にどうやら俺、戦う相手を間違ってたみたいなんデスガッ!!

「あぁ、楽しみだね。こっちもいいかげん長いからね……片思い」

 そう言って笑うその顔も、やっぱり俺の知らない顔で……。

「あっそ。そりゃ気付かなくて悪かったね」
「ホントにね。遅いんだよ、お前は」

 気付いてしまえばなんてコトはない。溢れる想いでこっちはもういっぱいいっぱい。
 なのにあいつと来たら、どうなのコレ。俺の気も知らずにさ、何とも言えない幸せスマイル。
 何を見ても、自分の気持ちを自覚するだけで、なのにもう言えるはずもなくて。

「じゃ、俺、行くね」

 そう言って肩をぽんと叩いて、立ち去るあいつはいつもと同じで。
 ただ俺一人が、勝手に触れられた肩に残った熱を持て余して動けないでいる。
 おいおい、どうしてこうなった!? ぼんやりしたまま小さくこぼす。

「あれ、俺って何しに教室来たんだっけ……」

 思わず原点に戻ってはみても、思い出すのはさきほどの光景。

 ――あーあ。ダメだ、こりゃ。

 窓の外には、ちぎれながらもゆっくりと流れる雲。
 ぼんやり見つめたまんまで俺は、大きな大きな溜息を吐いた。


< あとがき >
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
こんな企画でもないとBL書く機会もないんデスガ……。
感想などお聞かせいただけると嬉しいです。

 かぶ (鏑矢トシキ)