『変身』
【プロローグ】 ある朝、シザークは体に違和感を覚えて目を覚ました。 「んー、何か背中がムズムズするんだけど……虫にでも刺されたか?」 ベッドの中で大きく伸びをしたシザークは、右手を背中に回してみようと動かして驚いた。 寝ぼけ眼に飛び込んできた自分の腕と思しきものは……。 何と……虫の腕だったのである。 「うわぁーっ!!」 シザークは慌ててベッドから飛び起きようとした。 いつもの彼なら、そのままの勢いでバランスを崩しベッドから転落しただろう。 しかし、今日は体がフワリと浮いて、ベッドからの転落を免れていた。 一体……何が起こったのかと、今の自分の置かれている状況が理解できていないシザークは、とりあえず鏡の前に立ってみた。 そこで初めて自分の姿を確認し、今の状況を把握できたシザークは絶句した。 「何だよ……コレ。俺……まだ、夢でも見てるのか?」 鏡に映った自分の姿は、ドコからどう見ても虫そのものだった。 透けて見える透明な4枚の羽を羽ばたかせ、6本ある腕のうち下の2本で体を支え、床の上に立っていたのだ。 どこかで見たことのあるその姿。 シザークは上2本の腕を胸の前で組み、暫らく考え込んだ後ようやく思い出したのかポンと手を叩いた。 「どっかで見たことあると思ったら、コレってハチだ。そっか俺、ハチになったんだ……って、感心してる場合じゃないぞ。一体、どうなってるんだ?」 シザークは一人ぼやくと、鏡に映った自分の変わり果てた姿をマジマジと見つめた。 6本もある腕を動かしてみたり羽を動かしてみたり、右を向いたり左を向いたり、お尻の先端から針を出してみたりと、シザークは色々なことを試しあらゆる角度から自分の姿を確認したが、やはりどこからどう見ても今の自分の姿はハチにしか見えなかった。 「……それにしても……」 重なり合って2枚にしか見えないキレイな羽、ふさふさした短い毛に覆われた腹部から尻にかけてのポッテリとしたフォルムに細長い手足。 鏡に映った虫になった自分の姿を、シザークは意外にも気に入った様子で満足そうに微笑み、「うん、さすが俺。虫になってもカッコいいんじゃないか? 特にこの品のある縞模様なんか……」と、黒と黄色のコントラストの効いた腹部の縞模様を腕で擦りながら呟いた。 どのくらいの時間、そうやって鏡に映った自分の姿を眺めていたのだろうか。 ふとドアをノックする音に気付いて、シザークは我に返った。 「ヤバッ!! そう言えば……今日、朝から会議があるんだっけ? こんなことしてらんないや」 シザークは虫になっていることも忘れ、いつもの調子で急いで身支度をしなければと思い慌てた。 とりあえず服を手に取ろうとした時、改めて自分の姿を思い出した。 「……っ!! 俺、これじゃ会議に出れないじゃん。ってか、どうしたらいいんだ……」 ノックしても返事がなかったからか、ドアの向こうからフィズの声が聞こえてきた。 「陛下、お目覚めですか? そろそろ会議のお時間ですが……入りますよ?」 ドアがゆっくりと開かれる。 こんな姿になった自分を見られる訳にはいかない−−虫になったシザークは、その開いたドアから慌てて廊下へと飛び出していった。 ****** 【ナスタ】 部屋を出たシザークは、行く当てもなくフラフラと廊下を彷徨い飛んでいたが、いつまでもそうして城内をフラフラと飛んでいる訳にもいかなかった。 ハチになったシザークのことをまだ誰も知らない……と言うことは、見つかったらただのハチだと思われ、誰かに駆除されてしまう恐れがあるからだ。 そう考えたシザークは、「仕方ない……」と呟きとりあえず庭園の方へと出てみることにした。 外ならば仮に誰かに見つかったとしても、そう簡単に駆除されることもなく安全だろう。 しかし庭園に出たからといって、現状が何一つ変化することはなかった。 元の姿に戻る方法は全然検討がつかないし、そもそも何故虫になってしまったのかさえ分からないのだ。 「さて……どうしようか? ともかく何でこうなったのか原因を考えるか……」 そう、何故自分は虫になってしまったのか−−その原因が分からない限り、元の姿に戻ることは不可能だとシザークは考えた。 手入れの行き届いた庭園は中央に噴水があり、その周りを囲むようにたくさんの花が植えられていた。 今はまだ殆どが蕾をつけたばかりで、ひっそりとその身を潜めているようだったが、時期がくれば一斉に色とりどりの花が咲き乱れるはずだ。 花が咲き乱れる頃の庭園は本当に優雅で見ごたえがあり、城内にまでその華やかな雰囲気をつたえる香りが漂ってきて、人々の心を和ませるのだ。 代わりに雨季が終わったばかりのこの時期は、たっぷりと水を含んだ柔らかそうな青葉が日の光に照らされて緑を濃くし、見るものを爽快な気分にさせていた。 その柔らかそうな青葉の上に寝そべって、虫になったシザークは考え事をし始めた。 葉の上に寝転んでいると吹き抜ける風が心地よく、いつの間にかシザークはウトウトと居眠りをし、やがて深い眠りに落ちていった。 「とうさま、これ何て言う虫? 動かないけど……死んでんのかな?」 ふいに聴きなれた声が頭上から響いて、シザークは慌てて飛び起きた。 シザークの目の前には、アシュレイの顔があった。 虫になっているシザークから見ると、間近でみるアシュレイの顔はいくら子どもとは言え、すごく大きく見えるものだった。 その大きさに驚いたシザークは、気付かぬうちにハチ独特の攻撃態勢に入っていたらしい。 お尻の辺りにむず痒さを感じ、シザークは尻の先端から鋭い針を出していた。 や、ヤバイ……アシュレイを攻撃するつもりはないのに、何で針なんか出してんだ? 引っ込め、俺のバカ−−と、シザークが思ったときにはすでに遅く、アシュレイの側にいたナスタの平手が、シザーク目掛けて飛んできた。 バシッ!! 「私の大事なアシュレイに向かって攻撃しようとは……たかがハチの分際で許せん。アシュレイ、大丈夫か?」 「うん、とうさま。僕は大丈夫だよ」 ナスタの平手がハチになったシザークにクリーンヒットし、シザークはそのまま飛ばされ地面に叩きつけられた。 あまりの衝撃に一瞬気を失いかけたシザークだったが、更なる身の危険を察知し何とか意識を保ってその場から飛び立とうとした。 −−このままじゃ殺される……相手はあのナスタだ。ココで逃げなきゃ間違いなく踏み潰される。 シザークの直感は当たっていた。 ナスタはその美しい顔に冷笑を浮かべて、地面に落ちたシザーク目掛けて足を踏みおろそうとしていた。 飛び立とうとしていたシザークは、間一髪、ナスタの攻撃をかわすことが出来た。 そのままフラフラと地面すれすれの高さを飛び、何とか葉の影まで辿りつき、シザークは身を潜めた。 「ふっ、逃げ足の速いハチめ。まるで……何処かの誰かさんのようだ」 「とうさま、どうしたの? 誰かさんて、誰のこと?」 踏み潰す直前で逃げられてしまったナスタは、眉間にしわを寄せて不服そうな顔をした。 そんなナスタを不思議そうに見上げて、アシュレイがナスタの服の裾を引っ張った。 服の裾を引っ張られたナスタは、アシュレイの前に屈み込んで優しく頭を撫でた。 「アシュレイのことじゃないから気にしなくっていい。さぁ、そろそろ部屋に入ろう」 「はい、とうさま」 ナスタに頭を撫でられて嬉しくなったアシュレイは、満面の笑みを浮かべてナスタに抱きついた。 小さなアシュレイを器用に片手で抱き上げ、ナスタとアシュレイは城の方へと戻っていった。 ナスタたちが立ち去るのを確認すると、ようやくシザークは葉の影から出てきた。 そして仲良さそうに立ち去る親子の後姿を見ながらシザークは一人呟いた。 「こ、殺されるかと思った。……ってか、何でアシュレイにはあんなに優しい顔が出来るのに、俺にはしてくれないんだよ、ナスタ……」 兄弟なのに……子どもの頃からナスタは俺に冷たかった。 あんな優しそうな微笑など……俺に向けてくれたことなんて一度もない−−シザークは安堵の溜め息とともに切ない胸の内を吐き出した。 ****** 【カルナラ】 いつの間にか日は傾き、庭園に吹く風が気持ち冷たく感じられるようになっていた。 相変わらずハチになったままのシザークは、元に戻るすべも分からず途方に暮れていた。 「俺……これからどうしたらいいんだろう? もう、元には戻れないのか? ……そう言えば、会議はどうなったんだろう」 このままの姿で夜を迎えるのだろうか……それどころか、もうずっとこの姿のままかもしれない。 一向に元に戻る気配を見せない自分の姿に、シザークの不安は増していった。 庭園にいるため城内の様子ははっきりとは分からなかったが、騒然とした様子は伝わってこない。 ひっそりと静まり返っているようにみえる城内の様子が、ますますシザークの不安を煽った。 ……俺が居なくっても、誰も騒いだりしていないってコトか? まぁ、今日の会議は俺抜きでも何とかなったんだろうけど。 それにしても……一国の国王が半日も行方をくらませていたら、普通もっと騒ぎになっていても良さそうなのに−−そう考えると、シザークは居ても立っても居られなくなり、再び城内へと戻っていった。 「薄暗くなってくるこの時間なら……そんな人目につくこともないだろう?」 そう自分に言い聞かせて、城内をフラフラとシザークは彷徨った。 途中、SPや総務の人間にすれ違ったが、みんな落ち着いていて特に変わった様子はみられない。 いつも通りで変わった様子のみられない城内は、シザークが居なくなったからと言って、騒ぎが起きている訳ではなさそうだった。 どういうことだ? 俺が居なくなったところで、騒ぎは起きないってコトか? そんなに……この国にとって、俺って必要のない国王なのか? −−何とも言えない嫌な汗が、シザークの背中をつたった。 「そうだ……カルナラはっ!!」 カルナラは俺が居なくなったと知ったら、すごく心配して探してくれるだろう。きっとそうだ。 他の誰も心配してくれなくたって……カルナラだけが、俺を探してくれればいい−−そう思うコトで、ともすれば落ち込んでしまい物事を悪い方へ考えてしまいがちな自分自身を、シザークは励ました。 そして、カルナラを探しに城内を再び彷徨い始めたのだった。 いつの間にかシザークは、朝、自分が虫になってしまった部屋の前まで来ていた。 中から人の声が聴こえ、誰かが室内に居る気配がする。 一体、誰だ? 俺を捜索する手がかりでも探しているのか? −−シザークは扉の鍵穴から中を覗き込んでみた。 「シザーク……お願いです、どうか目を開けてください……」 薄暗い部屋の中では、カルナラがベッドの脇に跪いてベッドに寝ている誰かの手を取り、その手を握り締めて自分の額に宛がい、祈るように呟いていた。 鍵穴から覗いていたシザークには、ベッドサイドに灯された明かりのお陰でカルナラの姿だけは確認できたが、ベッドに居る人物までは確認できなかった。 今、カルナラ……俺の名前を呼んでいなかったか? −−カルナラの言ったことが本当にそうだったとするならば、ベッドに横たわっているのは間違いなくシザークの体なのだろう。 それならば今ココにハチの姿になってしまった自分は一体……? 意識だけがハチに乗り移ったとか? だとしたら、どうすれば元に戻れるんだろう。 もしこのまま戻れなかったら……肉体はどんどん衰弱していくんじゃないのか? そうなったら俺……死ぬのか? −−様々な考えがシザークの脳裏に浮かんでは消えた。 鍵穴から必死で中の様子を見ていたシザークは、背後にふと人がくる気配を感じた。 シザークは慌ててドアから離れ、側にあった柱の影に身を潜めた。 背後からやってきた人物はフィズだった。 フィズはドアの前まで来ると、神妙な面持ちでドアをノックした。 コンコン−− 「どうぞ」 中から少し間を置いてカルナラの返事が聞こえてきた。 その返事を待ってフィズはゆっくりとドアを開けた。 すでに日が落ちてしまった室内は薄暗く、ベッドサイドの明かりだけが灯っている状態だった。 もう日が落ちて暗くなっているって言うのに明かりも点けないなんて、カルナラらしくないな。……ま、この状況なら仕方ないか? −−フィズはカルナラの心境を察し、溜め息を吐きながらカーテンを閉め、部屋の明かりを点けた。 フィズについて一緒に室内に入り込みカルナラのすぐ側まで飛んできていたシザークは、不意に室内が明るくなったので一瞬どうしようかと逃げ惑った。 見つかったら、さっきナスタにされたみたいに……駆除されるかもしれない−−シザークは焦った。 しかし、そんな自分の身近を飛び回る虫にも気付かないほどに、今のカルナラは憔悴しきっていた。 それをいいことにシザークは、羽音を忍ばせこっそりとカルナラの肩口にとまった。 「カルナラ……陛下の様子は? あれから目を覚ました?」 「いや……まだだ……」 フィズは落ち込んでいるカルナラを励ますように、いつのも調子で明るく振舞い声をかけた。 カルナラはそんなフィズの心遣いに少しだけ表情を和らげたが、すぐにまた眉間に皺を深く刻み込むような面持ちで、眠っているシザークを見つめた。 フィズも一緒になって、カルナラの背後からベッドに横たわっているシザークを覗き込んだ。 「なぁ、ホント大丈夫なのか? やっぱ医者に見せた方がいいんじゃないか?」 「ナスタ様の言うことに……間違いはないと思う。もう少し……せめて明日の朝まで、このまま様子をみさせてくれないか?」 ナスタの言うこと? どういうことだ? ナスタはまた何か予言したのか? 明日の朝までって……明日になったら俺は元に戻るのか? −−2人の会話を 聞いていたシザークは、首を傾げた。 以前より時々ナスタは予言めいたことを言うことがあった。 具体的にどうなると言う未来は予見できないみたいだが、ぼんやりと未来のビジョンが浮かんで見えるらしい。 そのナスタの予言のお陰で、今までシザークもカルナラも何度か助けられたことがあった。 だから……今回の件も、カルナラはナスタの言う通りに明日の朝まで様子をみようと思ったのだろう。 「うーん、まぁお前がそうしてくれって言うんだったら、俺は別に構わないけど。陛下は風邪をひいて寝てるってコトになってるから」 「ありがとう、フィズ。助かる……」 「んじゃ、夜勤担当は俺だから、外で待機してるわ。何かあったらすぐに声かけてくれよな?」 「あぁ……」 ナスタの予言に関するそういった過去の事情を知らされていないフィズは、カルナラの言うことがイマイチ理解できなかった。 しかし、シザークのことを一番に考えているカルナラの言う通りにしていれば、きっと何とかなるんだろう……という、漠然とした気持ちがフィズにはあった。 だとすれば、今の自分に出来ることは……カルナラが、安心してシザークの側にいられるように配慮すること−−そう考え、フィズは夜勤担当者と交代して、自ら夜勤の警護にあたる事にしたのだ。 フィズが出て行った後も、カルナラはシザークの手を握り締めたまま動かずにいた。 カルナラの肩口にとまっていたシザークは、カルナラの辛そうな表情を間近に見ているのが耐えられなくなり、再び羽音を忍ばせて飛び立とうとした。 ちょうどその時、何か気配を感じたのか自分の肩口に目をやったカルナラと、今まさに飛び立とうとしていたシザークは目が合ってしまった。 「あっ!!」 「や……」 カルナラと目が合ってしまい焦ったシザークは、どうしていいのか分からず飛び立つタイミングを逸してしまった。 よく考えてみれば……今の自分は、虫の姿をしているんだった。目が合ったからと言ってカルナラに気付かれる心配はないのに−−そう思っていても、シザークは飛び立つことが出来ず、そのままカルナラの肩にとまったまま動けずにいた。 カルナラは肩口にとまったままの虫を振り払うこともなく、何度か目を擦っては凝視し、驚いたような表情で見つめていた。 やがて大きな溜め息を一つ吐き出して、カルナラは頭を左右に振った。 「どうかしてる……こんなハチがシザークに見えてしまうだなんて。しかも、目が合ったような気までするとは……重症ですね」 「カルナラ……俺のことが分かるのか?」 カルナラが虫になってしまった俺に気付いてくれた−−そう思ったシザークは、嬉しくなって思わずカルナラに声をかけてしまった。 「うわっ!!」 突然虫に話しかけられたカルナラは、口や目を大きく見開き驚いた表情のまま体を仰け反らせ、そのままバランスを崩して床に尻餅をついた。 カルナラの肩口にとまっていたシザークは、カルナラが倒れこむ勢いで宙に飛んだ。 ゆっくりと羽を羽ばたかせて、シザークはカルナラの正面に回りこみ、カルナラの膝の上にとまってカルナラの顔を覗き込んだ。 カルナラは自分を落ち着かせようと何度か深呼吸をし、瞬きを数回繰り返してから改めてシザークを見つめた。 「シザーク様? ホントにシザーク様なのですか?」 「うん」 虫になったシザークが頷く姿が、あまりにも可愛らしいというか滑稽で、カルナラは一瞬笑ってしまいそうになった。 シザークもそんなカルナラの様子が分かったのか照れくさそうに苦笑し、腕で触覚のあたりを弄った。 この人は……何で、虫の姿になってまでもこんなに愛しくみえるのだろう−−カルナラもつられて微笑み、そっと膝に手を伸ばしてシザークに手のひらに乗るように促した。 促されるままカルナラの指にシザークは移動した。 人差し指にちょこんと座ったシザークの姿はとても可愛らしかった。 カルナラはそんなシザークの姿をいつまでも眺めていたい衝動に駆られたが、ふと疑問に思ったことを声に出して呟いた。 「……どうして、そんな姿になってしまわれたのでしょう? シザーク様がこのような姿になられてしまったという事は、ココに寝ていらっしゃるのは……?」 「あー、どうやらそれも俺みたいだな」 シザークはそう言って、ベッドに横たわっている自分の姿を見ながら、また照れくさそうに触角を弄った。 しかしよく考えてみれば可笑しな話である。 シザークは虫に変身してしまったというのに。 しかもカルナラのすぐ目の前に居るのに、何故肉体だけはそのままの状態でベッドに寝ているのだ? −−カルナラは、ふとナスタの言ったことを思い出した。 「そう言えば……ナスタ様がおっしゃってました。『今日、シザークの意識は戻らないだろうけど心配するな。明日の朝までには元に戻ってるはずだから』と」 「ナスタが?」 シザークは驚いて羽を広げた。 羽を広げたシザークが、そのまま何処かへ飛び立って行ってしまうんじゃないかと焦ったカルナラは、シザークを掴まえようとした。 その時、偶然にもカルナラの親指がシザークの腹部を指の腹で優しく撫でるように掠めたのだ。 その刺激が気持ち良かったのか、程よく力が抜けてしまったシザークは、再び羽を閉じてカルナラの指の上に座りなおした。 いくらか顔が赤く染まったように見えるシザークの表情を見て、カルナラはそのままシザークの腹部を親指の腹で撫でてみた。 「えぇ、確かにそうおっしゃってましたけど……シザーク様、気持ち良いのですか?」 「うん、すげぇ気持ちいい。……って他には? ナスタは他に何か言ってなかったか?」 腹部を撫でられる感触の心地よさに、カルナラの指の上で完全に寛いだ状態になったシザークは、本当に気持ち良さそうにうっとりと目を閉じた。 そんなシザークの姿を見てカルナラも満足そうに微笑んだ。 「あぁ、そう言えば。『精神体を入れている器を破壊すれば、必然的に精神が元の肉体に戻るだろう』とも」 「精神体を入れてる器を破壊する? それってどういう……」 そこまで考えてシザークには思い当たることがあった。 今日の昼間、庭園で会った時のナスタのあの態度。 あの時ナスタは俺に気付いていたのか? それで俺のことを叩き潰そうとしていたのか? そう考えるとつじつまが合う。 でも……何で、俺に何も言わないまま潰そうとするんだよ。ちゃんと話してくれれば俺だって、逃げたりしなかったのに−−シザークにはナスタの考えが分からなかった。 ただ一つ考えられるとしたら、あの時のナスタの表情からして……完全に状況を楽しんでいるって言うことだった。 あの時、シザークを踏み潰そうとしたあの時、ナスタはとても楽しそうな顔をしていたのだ。 「シザーク様? どうされました?」 「や、何でもない……ってカルナラ。お前、何してんだよっ!!」 宙を見つめて考え事をしていたシザークは、カルナラに声をかけられて視線を戻した。 そこで初めてカルナラの顔が間近にあることに気付いて、シザークは少し慌てた。 いつの間にかカルナラに摘み上げられているではないか。 ずっと腹を撫でられていたから、いつ摘まれたのかシザークには全く分からなかった。 焦って抗議の声を上げるシザークに、カルナラは悪びれもせず笑顔で答えた。 「え? あ、はい。ちょっとナスタ様の言ったことを実行してみようかと……」 「はぁ? うわっ、ちょ……待てって……」 そう言って抵抗する間もなく、摘み上げられていたシザークは、いとも簡単にカルナラの指で押し潰されてしまったのであった。 プチッ!! 意識が遠のく一瞬の間、シザークの脳裏に走馬灯のようにある記憶が蘇ってきた。 そうあれは……虫になってしまう前の日の夕方。 シザークは庭園で一匹のハチを誤って踏み潰してしまったのだった。 あぁ……あの時のハチに、今の自分はそっくりだったんだ。そっか……そう言えばあの時、最後に刺されたんだっけ。死ぬ前にもがくハチの一刺しってやつだな。 ひょっとしたら……それが原因なのかも知れないな。あの時踏み潰してしまったハチの、祟りだったのかもしれない−−遠のいていく意識の中、シザークはそんなことを考えていた。 ****** 【エピローグ】 翌日、シザークが目を覚ますとちゃんと元の姿に戻っていた。 慌てて鏡で自分の姿を確認しようとシザークが飛び起きると、すぐ脇にはカルナラが昨日見たときと同じように、シザークの手を握りしめたままの体勢で眠っていた。 カルナラは結局、昨日の夜からこのままの状態で朝を迎えたのであろう。 シザークは疲れて眠るカルナラを愛しく思い、頭を撫でようとしてふとあるものに気付いた。 それは……自分の目の前を嬉しそうに飛び回る、カルナラそっくりのハチだった。 昨晩、ハチになったシザークを指で押し潰した時に……カルナラは、意識をなくす寸前のシザークに刺されたのであった。 翌朝、目を覚ましたカルナラはシザーク同様ハチになっていたのだ。 「それじゃ……結局、ハチの祟りってコトなのですか?」 「んー、まぁ多分そんな感じなんじゃないかな?」 シザークはベッドに座ったまま、両手を上にあげ大きく伸びをしてそう答えた。 つい昨日まで自分も同じ状況だったのに、シザークはまるで関心が無いとでも言うような素っ気無く言った。 虫になったカルナラはそんなシザークの前を飛び回り、恨めしそうな顔をしてシザークを見つめた。 「…………」 「だーかーら、俺が元に戻してやるってさっきから言ってんじゃん」 カルナラに睨まれてもちっとも堪えてないのか、シザークは悪びれもせずそう言って笑った。 シザーク様……何か楽しそうに見えるのは気のせいでしょうか? −−カルナラはそう声に出して言いたいのを我慢し、肩を竦めるように羽を羽ばたかせ続けた。 実際にシザークはと言えば、伸ばしていた両腕をそのまま頭の後ろで組んで、ニヤニヤと楽しげに笑ってカルナラを見ていたのだ。 「本当に……本当に、元に戻れるんでしょうか?」 カルナラにしては珍しく素直に、弱気になっている今の自分の胸中をシザークに打ち明けた。 昨日のシザークの時は、ナスタの予言があったからか心配はしていても、何とかなるのではないかと心のどこかで思っていたのだろう。 しかし、カルナラの場合は……特にナスタの予言もないのである。 状況がシザークの時と類似しているからと言って、本当に同じ方法で元に戻れるという保障はどこにもない。 カルナラが不安になるのも、仕方のないことなのかもしれない。 それにしても……昨日は、俺が「待て」と言うのも聞かずに俺のことを指で押し潰したくせに、何で自分の時はそんなに不安がっているんだよ−−と、シザークは昨晩の出来事を思い出し、ややムッとしたように口を尖らせた。 目の前を落ち着きなく飛び回るカルナラの姿も、シザークを少しだけイラつかせた。 「何言ってんだよ、カルナラ。俺ん時は躊躇せずに指で押し潰したくせに」 「それは……そうですけど。あぁ、でもシザーク様」 この期に及んで、まだ何か言い足りないとでもいうような煮え切らないカルナラの態度に、シザークはますますイラだった。 頭の後ろで組んでいた腕を解き、シザークはベッドの上に伸ばしていた自分の足を叩くように、勢いよく腕を下ろした。 シザークの腕が下ろされた勢いで、ブワッと風が上から下へと流れた。 その風に玩ばれる様に、シザークの目の前を飛んでいたカルナラの体が宙でクルクルと回転した。 バランスを崩したカルナラは、必死で羽をバタつかせて何とか体勢を整えようとした。 その様子があまりにも滑稽で、シザークは思わず噴出しそうになってしまった。 イラついた気分も一気に晴れたのだろう……シザークは、満足そうな顔をしてカルナラに手を差し出した。 「何だよ、往生際が悪いやつだな。それとも……俺のことが信用できないって言うのか?」 シザークの口調はどこか茶化したような感じで、怒っているのか、それとも呆れているのかカルナラには判断がつけられなかった。 その為、差し出された手にとまって良いものなのか一瞬迷ったが、溜め息を一つ吐き出し覚悟を決め、徐々に羽の動きを緩めながらとまることにした。 シザークの指にとまったカルナラは、シザークの本心を確かめようとシザークの顔を覗き込んだ。 口調とは裏腹に、真剣な面持ちでカルナラを見つめているシザークの顔がそこにあった。 彼なりにカルナラに気を遣っていたのだろう。いつものように軽口を叩くことで、少しでもカルナラの不安が解れればいいと思っていたのかもしれない。 そんなシザークの心遣いを察したのか、カルナラは胸が熱くなるのを感じある決心をした。 やはり……シザーク様に危険を冒させる訳には行かない。納得してもらうためにも、きちんと話をしなければ−−そう思ったカルナラは、自分が考えているもう一つの不安を口にした。 「いや、そうではなくてですね。もしもですよ? 私の時みたいに叩き潰したせいで、またシザーク様がハチになるって言うことも可能性としてはある訳じゃないですか? そんな危険をシザーク様に冒させる訳にはいきません。ですから……」 「あぁ、それなら大丈夫。刺されなきゃ平気だと思うから。それに俺、素手で叩く気ないし」 カルナラが言い終わらないうちに、シザークは屈託のない笑顔を見せカルナラの言葉を遮った。 その何とも言えない楽しそうな様子を見て呆気にとられたカルナラが、「はぁ? それは一体……」とシザークに訊ねると、シザークは「ちょっと待ってて」と言ってベッドから飛び起きた。 シザークの指にとまっていたカルナラは、シザークがベッドから飛び起きた勢いで宙に放り出された。 カルナラは体勢を立て直すことが出来ず、フラフラと舞うようにベッドに落ちてしまったので、そのままベッドの上でシザークが戻ってくるのを待つことにした。 やがて隣の部屋から嬉しそうにはしゃいで、「ホラ、これ見ろよ。コレ」と言って、ハエ叩きの様な物を持ってシザークが戻ってきた。 その姿を見たカルナラは、これから迎えるであろう自分にとって屈辱的で最悪な結末を予感した。 「まさか……シザーク様、それで私のことを叩く気ではないですよね?」 恐る恐るシザークを見上げてカルナラがそう聞くと、「もちろん、叩くに決ってんじゃんっ!!」とシザークは答え、満面の笑みを浮かべてそのハエ叩きをカルナラに向かって振り下ろした。 一瞬の出来事に身動き一つ出来ないまま……カルナラは、無残にもハエ叩きで押し潰されてしまったのだった。 それから意識を取り戻すまでの数時間の間、カルナラは「止めて下さい、シザーク様!! やめ……」と繰り返し、激しく魘されていたらしい。 ****** 久々にドラプラの2次創作を書かせていただきましたw や、今回エロはなくってちょっと物足りない感じもしますが(>▽<;; アセアセ ホントはギャグではなく微笑ましいエピソードの、暖かいラブラブなお話を書くつもりだったのですが。 どこをどう間違ったのかこんな感じに仕上がってしまいました。 ま、たまにはこんな感じの作品を書いてもいいのではないかと、自分に言い聞かせていますですよw ちなみに最初はMINMIの「アイの実」という曲を聴きながら、「幸せなひととき」と言う作品を書くはずだったのです。 ……が、ついうっかり本棚の片隅にあったカフカの「変身」という本が目に留まってしまって。 そしたらBUCK-TICKの「PHYSICAL NEUROSE」が頭の中で渦巻いてしまったのですよΣ(=д=ノ)ノ アゥーン!! もうね、コレしかお話が浮かばなくなっちゃいました(〃^∇^)o_彡☆あははははっ ホントこんなくだらない作品で申し訳ないですペコm(_ _;m)三(m;_ _)mペコ Jul.13th.2007 紗夜 |
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