『深淵の底』


「竜棲星-ドラゴンズプラネット」二次創作小説
制作--深水晶様



ただ、好きだと──そう思うだけのことのはずなのに、苦しい。

駄目だと思い、抑制しようと思えば思うほど想いは募り、泥沼にはまっていく気がする。

……最近の私は病的、いや、病気そのものだ、と思う。
自分でもバカなことを考えていると思うし、言動も支離滅裂で、首尾一貫していなくて、どこか狂ってると思う。

間違いなく、私はこの感情の名を既に知っている。
この熱情の名を知っている。

それでも、この想いに名を付けることは、いまだに迷い続けている。
それを定めてしまったなら──その時こそ、光も届かぬ暗闇の深淵に落ちて、二度と岸辺には這い上がれない──そういう気がする。








溜息をつくと、シザークがいつも脳天気な表情と口調で話し掛けてくる。

「どうしたんだ? カルナラ。もしかして腹の具合でも悪いの? 胃なんか押さえちゃってさ。食い過ぎ? それとも悪いものでも食べた?」
「…………」

私は無言で、シザークを見つめた。

「どうしたんだよ? 深刻そうに眉寄せちゃってさ。顔の皺が増えたらどうするんだ?」
「……私の顔に、既に皺があるとでもおっしゃりたいのですか?」
「え? 別にそういうわけじゃないけど……困るだろ? 顔に皺が増えたら」

私の顔にはまだ、加齢に伴う皺は刻まれていないはずだ。
大体、何がどういう風に困るのか、その文脈では全く判らない。理解できない。

「…………」

まあ、この方の言動に、深い意味などあるはずがないのだが。……気が抜ける。
がっくりと肩を落として、また溜息をつくと、絨毯を踏みしめる音が聞こえて、
そして。

「!?」

ぎくり、として顔を上げる。
シザークは私の首の後ろに両手を回し、しがみつくような格好で、下から見上げてくる。

「なっ……なななっ……何をしてるんですかっ!?」
「んー? 元気なさそうだから。熱でも測ってやろうかと思って」
「なっ……熱を測るんだったら、もっと普通に測ってくださいよ!!」
「普通に? 普通ってどういう風にだよ」
「それは、ほら、額に手を当てるとか……」
「こっちの方がてっとり早いだろ? えい」

こつん、と額を合わせてくる。
……唇と唇が、触れ合いそうな至近距離。
焦点が合わせられないくらい間近にあるシザークの顔は真顔で、ふざけている風はない。
彼の呼気が頬に吹きかかり、私は慌てて彼を引きはがし、突き飛ばした。

「なっ……!? ど……っ!!」

床にへたり込んで、驚いてシザークは私を見上げる。

「安易にそういうことをするのはやめてください!!」

思わず怒鳴りつけていた。
……泣きそうな気分にもなっていた。

私の顔を見上げているシザークは、大きく目を見開いて私を見つめていた。
……そういう姿でさえ、私を誘っているように見えるのは、私の思考回路や感覚がどこかおかしくなっているからだろう。
こみ上げてくる熱やまやかしを、理性で懸命に押さえつける。

そんなはずはない。
そんなはずはないのだ。

彼が、何故、私を誘う必要がある?
落ち着け、落ち着くんだ。冷静さを取り戻せ。何を考えている?



自分は今、何を一体、考えている?



判っている。判っているから許せない。
それは、間違ってもシザークのせいではなく、この狂った感情と歪んだ熱情に浮かされて、正気と狂気の間を行き来している、自分自身の弱さと抑制力のなさのせいだ。
……だから、シザークは悪くない。

「……すみません、頭を冷やして来ます」

くるりと背を向け、部屋を出ようとすると、

「ちょっと待て、カルナラ」
「はい」

呼び止められて振り返る。シザークは真剣な表情だった。

「カルナラ、お前本当に身体の具合が悪いのか? 診てもらった方が良いんじゃ……」
「いえ。必要ありませんから」

医者の診察で、どうにかなるようなものではないことは、己自身が知っている。
本当に、これがなんらかの処置や薬物投与によって、治療できる代物であれば良かった。
その名を、この私の体内で渦巻きのたうつ無形の情欲の名を知りながら、懸命に私はそれに気付かぬふりをしようとしている。
それを認識してしまったら、たぶん否定できない。
現在以上にこれが大きくなってしまったら、この身の内に留めておくことができぬほどになって、溢れ出してしまったら、決して止まらない。
抑制など、紙きれ一枚ほどの抵抗力も無く、引きちぎられ、怒濤のように流され、深みにはまり、逃れられなくなる。



私は、おそらく恐いのだ。



「……では、失礼します」
「カルナラ」

聞こえなかったふりで、ドアを開く。

「……カルナラ、無理はするなよ?」

それが本当に、私を心配しての言葉だと判っていたから、私は精一杯の抑制と理性を総動員して、笑顔を作った。
彼を、安堵させるために。

「判っています、殿下」

閉めたドアの向こうから、抗議の声が聞こえてくる。
苦笑しながら、もう一度溜息をついて、その場を後にした。










「あの、コールスリ准尉」
「……え?」

物思いからふと我に返ると、アルトダ・ガフィルダ伍長がすぐ目の前にいた。

「……その、そこにいらっしゃると、中に入れないのですが」

困ったように、伍長は言った。いつの間にか私は、資料室のドアを塞ぐ形で立って考え事をしていたらしい。

「ああ、済まない。気付かなくて」
「いえ。あの、こちらこそ、お邪魔して申し訳ありませんでした」

……う。

「あ……いや、別にそんな……」
「お忙しいのでしょう? 大丈夫ですか?」
「……え?」
「あの、その……お節介で申し訳ないのですが、顔色があまり良くないように見えて。睡眠はきちんと取っていらっしゃいますか?」

……そう言えば、最近あまり良く眠れていないかも知れない。

「コールスリ准尉がお忙しい方なのは存じ上げておりますが、お身体にはお気を付けください。出過ぎたことを申すようですが、その、准尉は我が身を省みられず無理するようなところがあるように見えて、本当に心配なんです」
「……有り難う」
「いえ。その……本当にすみません」
「何故謝る?」

尋ねると、伍長はほんのり頬を赤らめて、俯いた。

「あ……その、お、お気に障りましたか?」
「何故?」
「え? ですからその、差し出た事を申し上げまして」
「…………」

ガフィルダ伍長はとても真面目な青年だ。
シザークとは違う。全く正反対の性格だ。
若い、と思う。
肌が、綺麗だと思う。
容貌の美しさは、シザークには劣ると思うが、一般的な基準からすれば、整っている方だと思う。
体型はそれほど悪くない。
旧家であるアルトダ家の跡取りで、優秀な人材だ。

例えば、誰かに何かを思うとするなら、釣り合いの取れた、身分相応の、自分と対等あるいはそれに近い立場の人間である方が楽なのだろう──と、ふと、思って。

「……どうなさいました? 准尉」

きょとんとして声をかけられ、苦笑した。

「いや、なんでもない」

彼の顔や姿を見ても、あの熱情には、私を常に悩ますあの感情には襲われない。
他の誰が相手でも同じだ。
私を悩ましているのは、この世で唯一人、あの方──ダナヤ・シザーク、皇太子殿下でありバイデラルである──だけなのだ、という事を痛感する。

そう。
認めなくとも、私はあの方に心惹かれ、心奪われている。
私はあの方が好きで、あの方以上に誰かを思うことはできなくて、そして、この感情や熱情の正体は、たぶん『恋』だ。



深淵の底はまだ見えないけれど。
あなたと落ちるのならば、悪くない。

もっとも、あなたがそれを望まなければ、落ちるのは私一人だ。

けれど、それは誰のせいでもない。

もし、誰か罪深い者がいるとするなら、それは自分自身で、自分一人だから。

あなたには何も望まない。
本当は望んでいるけれど、それは筋違いだ。
それをあなたに望むのは、身の程を知らぬ大罪だから。


深淵の底に沈むのは、私一人で良い。

……その内、耐えられなくなるのかも知れないが、狂気に陥るのも悪くない。
けれど、狂気に犯された身ではあなたを守る事はできないから。

この身の内の熱情に溺れながらも、決して理性は手放さない。
自分の居場所を、自分の存在価値を失わぬために。

 だから、今宵も夢を見る。


 深水 晶様


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