【アルトダ・ガフィルダ】
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「アルトダ伍長」
ある日の午後。
執務室で名を呼ばれ、ガフィルダは顔を上げた。その目に映る、背の高い上官の姿。
「報告は以上ですか?」
「…はい」
「わかりました。それでは後は私が伝えておきます」
「よろしくお願いします、コールスリ准尉」
穏やかに微笑むカルナラへ、ガフィルダが頭を下げる。
「カルナラ准尉」
別の人間がその人物に声をかけ、薄い書類の束を差し出した。
どちらも真剣な顔で書類に目を通す中、時折、彼が微笑んでみせる。その笑顔につられるかように、相手もまた、笑顔になる。
「……」
ガフィルダはそんな光景を、ただ何気なく見つめていた。
城に来てから、彼の日常に溶け込んでいる風景。目の前で話す人物も、その風景の一部だった。
彼こそが、ガフィルダの上官であり、実兄でもある人物、『コールスリ・カルナラ』。
シザーク皇太子殿下の付き人を務め、その教育も一任されている。
彼も要人の警護に当たるSPだが、普段の姿からその面影はつかめない。
温厚で、誰からも信頼されている。
カルナラの人柄ならば、ガフィルダの事も受け入れられるであろう。
違う境遇で育っていたとしても、彼ならばガフィルダを血を分けた本当の弟として、迎え入れられるはずだった。
しかし実際は、ガフィルダの方が真実を伝える事ができなかった。
初めてカルナラに会った時、ガフィルダは忘れかけていた自分の素顔に気付いた。
年齢を偽るためにかけていた眼鏡を通して見えた、自分自身とよく似たカルナラの顔。
ガフィルダには辛かった。
生まれて初めて、血の繋がった者の姿を見たという事実。
その事がガフィルダに、今までどんなに本当の家族とは遠い世界にいたのかを知らしめたのかもしれない。
彼は誰にも真実を告げようとしなかった。その類の感情が起こらなかったのだ。
そして、新たな生活や仕事に慣れようとしていたのも手伝ってか、彼がカルナラを兄として意識する事もなかったのである。
「カルナラ!」
ガフィルダの耳に飛び込んでくる、明るい青年の声。
綺麗な金色の髪と青く光る瞳を持つ、皇太子殿下『ダナヤ・シザーク』の声だった。
「また…勝手に出てきましたね。ナスタ様に叱られますよ」
やれやれ、とため息をつきながらカルナラが答える。
「へっ、偽装工作は完璧だもんね」
シザークは自信に満ちた笑みでカルナラの肩を叩いた。
「偽装工作?」
「そう。カルナラが呼んでるってウソついてきた」
「(後で怒られるのは私か…)」
カルナラは目じりがつり上がったナスタの顔を想像し、がっくりと肩を落とした。横にいるのは楽しそうに笑うシザーク。
そんな光景に、カルナラへ書類を渡していた彼の同僚もクスクスと笑っている。
「……」
ガフィルダには、カルナラの顔がいつもとは少し違って見えていた。
シザークのそばにいる時のカルナラは、別の顔をしている。
優しそうで穏やかなのだが、それだけではない。何より、そんなカルナラならいつもの事なのだ。
シザークと共にいる時は、どこかカルナラ自身も安堵しているような、そんなあたたかい表情だった。
「報告は以上です。失礼します」
ガフィルダは早口でそれだけ告げると、シザークへ深く一礼して部屋を後にした。
長い廊下を歩きながら、ガフィルダは思う。
あの空間に、自分は長くいられないような気がした。
シザークとカルナラが一緒にいる空間。
兄に自然体で振る舞えるシザークに対して、嫉妬しているのだろうか。それとも何か別の、感情なのだろうか。
不意に、シザークと交わした会話がガフィルダの頭を巡る。
城に勤めてまだ間もない時、ガフィルダはシザークから声をかけられた事があった。
まだ城の者とも打ち解けていない頃で、無論、位の高いシザークとは言葉すら交わした事もなかった時だ。
その時のシザークの言葉を、今でもガフィルダは覚えている。
「お前……きっとカルナラと同じタイプだな」
「え?」
暇を潰す目的でカルナラの執務室に入って来たシザークが発した最初の一言が、これであった。
たまたま用事で来ていたガフィルダは警戒するように眼鏡を手で押さえ、下を向く。
「なんか、優しいイメージあるじゃん? だからカルナラと似てるな、って」
「に、似てる……?」
ガフィルダの口が不自然に歪んだ。
"こいつはきっと冷静な人"と思っていたシザークにとって、
彼の戸惑いは不自然に見えたのだろう。
シザークはやや心配そうに眉を下げ、彼の顔を覗き込んだ。
「あ。もしかしてカルナラの事、嫌い?」
「い、いえ!」
ガフィルダはすぐ否定したのだが、それを全く聞いていないようで、シザークが苦笑しながら話を続ける。
「あいつ〜、時々説教クサくなるからな。やっぱり嫌われてんのかな」
「(やっぱり?)……そ、そんな事ありません! コールスリ准尉はとても……」
「シザーク様」
ムッとした顔のカルナラがシザークの背後に現れ、ガフィルダは大声を上げそうになった。
「誰が説教くさい……と?」
「自覚してんだろー」
「では、どなたが私に説教をさせるのかもわかっているんですね」
「ナスタか?」
「あなたです」
「カルナラ。そんな真面目な顔すんなって」
シザークが笑いながら後ろから伸びたカルナラの腕をつかみ、寄りかかるように体を反らせる。
先程まで彼の台詞で不機嫌そうにしていたカルナラも、いつの間にか、穏やかな顔に戻っていた。
「シザーク様。そろそろ仕事をさせてください。……ほら、アルトダ伍長も困っていますから」
その光景を何も言えずに見ていたガフィルダは、自分の名を呼ばれた事で我に返った。
カルナラがシザークに腕をつかまれつつもガフィルダへ顔を向け、申し訳なさそうに苦笑している。
「あ、いえ!」
慌てて言葉を返してから、ふとガフィルダはシザークと目が合った。
「そういえば准将も褒めてたなー、仕事ができるって。アルトダ……だっけ?」
「は、はい…!」
ガフィルダに緊張が走る。
この人物が皇太子である事を知ったのも、ついこの間だった。言われなければわからなかったかもしれない。
シザークは少し真剣な顔になると、ガフィルダへこう言った。
「カルナラは親父クサいけど、良いヤツだから。こいつで何か困った事があったら、オレに相談しろよ」
「…え」
思ってもみなかった言葉をかけられて、ガフィルダは用意していた台詞も忘れ、唖然とするしかなかった。カルナラも同じような顔である。
「じゃ、オレはそろそろ戻る。カルナラ、あんま新入りいじめんなよー」
ほんの数秒前の表情はどこへいったのか、シザークは笑いながら手をヒラヒラと振り、部屋を出ていった。そして室内には呆然とする二人が残される。
「……は、はぁ…」
ガフィルダはどう反応していいかわからず、誰もいないドアへそう答えるしかなかった。
自分はまだ城に入って間もない人間であり、シザークとの身分差も歴然である。
そんな身分の差も気にかけないような、皇太子殿下の言動。
何度考えてみても、あれは自分のような者へかける言葉ではない。一国の皇太子ならばなおさらだ。
ガフィルダには、シザークが想像していたよりもはるかに幼く、正直で裏表がないように感じられた。
「あのような方、なんですよ」
「えっ?」
ガフィルダが声のする方へ目を向けると、カルナラが困ったように肩をすくませて笑っていた。
「多少、言動に強引なところもありますが……あの方は他の者を見下げたり、軽んじたりしない。そういう方、なんです」
カルナラが嬉しそうに自分の主を語る。その表情に、ガフィルダの顔が少しだけ強ばった。
「…そうなん…ですね……」
曖昧な言葉が喉を通り、零れるように口から消える。
ガフィルダには不思議だった。
シザークという人物は、すぐに自分の感情を表へ出すようにみえる。
それは自分と正反対のようでもあり、以前暮らしていた環境の中でも見られない人物だった。
もし自分も兄と育っていたのなら、兄はあんな風に接してくれるのだろうか。
それとも、自分の性格では叶えられない願いなのか。
シザークのような、人物でなければ。
「(シザーク様…か)」
ガフィルダが意識を現在へと戻し、シザークの事を考えながら廊下を進んでいた時、前からある人物がやってくるのが見えた。
すらっと姿勢を正して歩く姿。流れるような金色の長い髪。
その容姿は城内でも、一際美しく映る。
「……」
予め廊下の端に寄っていたガフィルダは、すれ違う手前でその者へ頭を下げた。
「ああ、アルトダ」
声の主である殿下『ダナヤ・ナスタ』が彼に気付き、立ち止まる。
少し意外そうな顔をしているところから、ナスタもガフィルダと同じく、考え事をしながら歩いていたようだった。
「はい」
ガフィルダが少し顔を上げる。
ナスタは後ろを歩く付き人へ先に行くよう手で指示を送り、ガフィルダへ言う。
「調べて欲しい事がある。後でミシアから書類を貰ってくれ」
「わかりました」
「それから、わかっていると思うが」
「え?」
急にナスタの声が強くなって、思わずガフィルダは声を出した。彼の瞳に、ナスタの表情が映る。
「情報の取り扱いは慎重を期すように。資料室へ無闇に立ち入るな。情報の漏洩だけは避けたい」
「は、はい」
「新たな情報が入れば必ず私に報告してくれ」
「わかりました」
ガフィルダが再びナスタへ頭を下げた。
その動作とほぼ同時に彼の横をナスタの外衣がひるがえり、すぐに視界から消える。
彼が頭を上げ、振り返った時には、既にナスタは付き人と共に廊下の角を曲がった後であった。
「………」
意識せずとも体が強直する。
ナスタは時折、血の通わないような声を出す事がある。
最初の頃はガフィルダもそれを、上に立つ者の態度として別段気にかける事はなかった。
だが、城で暮らしていくにつれて、その声にある種の恐ろしさを感じるようになっていた。
ナスタの言葉に圧倒され、締め付けられそうになる事もあった。
その言葉の奥から感じる、冷めた感情。
なぜそう感じるのかわからなかった。
この頃のガフィルダはただ漠然と、ナスタから鋭く研ぎ澄まされた"何か"を感じていた。
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竜棲星