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【アルトダ・ガフィルダ】



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-6- 

 それから、幾日が経ったのだろうか。ガフィルダの周りを混沌とした時間が過ぎ去っていった。
 自分が少しずつ真実から遠ざかっていくような気もする。ガフィルダはどうにもならないとわかっていたが、それでも情報だけは集め続けていた。
 これ以上、辛い事は知りたくなかったはずだったのに。
 その心の変化は、ガフィルダには微かな希望が見えていたからなのかもしれない。
 あたたかい"光"。
 闇に包まれた中でも、光の根源となれる存在。
 力強く、導いてくれる声。

 そう、この声のような……



「馬鹿!」
「え」
 会議が終了したばかりの部屋に突然響いた言葉。その言葉を言われた方は、なぜ言われたのかわからずに目を丸くしていた。
「あー、もう! なんで言わなかったんだよ!」
 室内に残っている人物も少なく、ガフィルダも丁度、書類をまとめて執務室に戻ろうとしていた時だった。
 嫌々会議に出席していたシザークが、SPであるフィズ准尉に詰め寄っていたのだ。
 その声からして彼が怒っていると思ったガフィルダは、少し不安そうに彼等のやり取りを見つめる。
 しかし、シザークの表情は怒っているというよりも、焦ったような、困惑したようなものであった。
「す、すみません…! で、でも…これは私事で…」
 フィズも困った顔で噛みつきそうな勢いのシザークをなだめている。
「カ、カルナラ」
 今度は助けを求めるように同僚のカルナラを見た。
「……」
 いつもシザークのブレーキ役となっているカルナラだったが、今日は無言のまま、二人の後ろに立っているだけであった。
「駄目だ、絶対駄目だ! 今すぐ帰れ!」
「シ、シザーク様!」
「(シザーク様。一体どうなさって……)」
 ガフィルダにも穏便ではないその雰囲気が伝わってくる。と、彼の耳に隣にいた同僚達の会話が入ってきた。
「無理だよなぁ。准尉は明日、大事な交渉の」
「まさか警護担当を変更するわけにもいかないし」
「でも、妹さんが病気なんだろ。帰りたい気持ちはわかるよ」
「遠いんだってなぁ、病院……」
「(えっ、病気?)」
 驚いたガフィルダが再びシザークへと視線を戻す。
「シザーク様…。私も妹も大丈夫ですから」
「行ってみなきゃわからないだろ? 警護なんて別のSPに任せろよ」
 シザークは真剣な面持ちでフィズを見つめ、会議室の机に手をついた。強い衝撃音が部屋中に響く。
 行動こそいつものシザークだったが、その瞳があまりにも本気で向けられているように見えて、ガフィルダは思わず息をのんだ。
「そ、そんな事を言われても!」
「ご無理を言わないでください」
 そう声をかけたのは後ろに控えていたカルナラだった。フィズから安堵のため息が零れる。
「カルナラ!」
 振り向いたシザークが、今度はカルナラに詰め寄り始めた。
「明日の用事だったら別のヤツでも大丈夫なんだろ?」
「いいえ。彼でなければできません」
 冷静な顔できっぱりと言い切るカルナラに、シザークは口を歪ませる。
「お前だって同じSPじゃないかよ。リドウさんだって…」
「それぞれ与えられた任務が違います」
「……」
 明らかにシザークの顔がムっとなる。
 ガフィルダや周囲の者達は、それに続いてより大きな声が飛んで来ると思っていたのだが、シザークは大きく息を吸い込むと、急に扉の方へ体を向けた。
「オレがナスタにかけ合ってくる!」
「え?」
 その言葉に対して顔を真っ青にさせたのは他でもない、フィズ本人である。
「お、おやめください、シザーク様! そんな事を言ったら俺がナスタ様に〜!」
 フィズがシザークの背中にしがみつく。
「シザーク様」
 二人の様子を見ていたカルナラは、ため息をつきながらシザークの前方へと回り込んだ。
「SPの問題だけではないんです。交渉には相手がいます。我々の都合で予定を変更できません」
「でも…!」
 訴えるようにシザークがカルナラを見る。
「フィズ准尉は妹が病気なんだぞ。仕事が忙しいからってそんなんでいいのか?」
「そ、それでも大丈夫なんですって!」
 今にも扉を蹴破りそうな勢いのシザークを、フィズが後ろから必死に引き止めていた。
やはり同じSPでも、誰もがカルナラのようにうまくシザークを抑えられるわけではないらしい。それでもカルナラは冷静に言い聞かせようとしていた。
「このまま彼がいなくなると我々も困ります。それに、妹さんもフィズ准尉の仕事をわかってくれているでしょう。今急いで帰ったら、逆に心配させるのでは?」
「…うー…」
「大丈夫ですよ。明日の交渉が終了すれば休みも取れますから」
「……そうだけどさぁ…」
 カルナラの視線を避けるためか、シザークがうな垂れる。行き場のない辛さを隠すかのように、その口元は強く閉ざされていた。
「た、助かった……カルナラ」
 勢いが収まって、フィズがため息をつく。
 それからようやく自分が皇太子に抱き付いていた事に気付いたのか、慌てた様子で体を離した。
「シザーク様。俺の妹のために……ありがとうございます」
そう言って彼が笑顔でシザークへ頭を少し下げる。
「……ごめん」
 シザークの方はどうにもしてやれない事に悔しさを感じているのだろう。その口から出た言葉は弱々しいものだった。だが、フィズの顔から笑みは消えない。
「いいんです。妹といっても、もうすぐ成人ですし……可愛げがないヤツで」
妹の事を思い出し、フィズが照れながら頭をかく。
「……」
 カルナラもいつもの穏やかな表情へと戻り、シザークはまだ釈然としないようだが、ようやく騒ぎも収まりかけた、その時だった。
「アルトダ伍長!」
 少しだけ開いていた扉の外から声がした。
「は、はい!」
 名前を呼ばれ、ガフィルダがその近くへ走る。外で待っていたのは、同じ執務室で働いている同僚の女性だった。
「たった今、連絡がありまして!」
 彼女はやや息を切らせながらもガフィルダへ耳打ちをする。
「交渉が……延期に?」
 思わずガフィルダが声を出した。
「延期?」
 その小さな声にシザークが反応する。
「はい。相手側から要望が。これが嘆願書と、慌ててまとめた追加資料です」
 と、女性はガフィルダへ封筒と書類を差し出した。ガフィルダが真剣な眼差しで両方を見比べる。
「ナスタ様には?」
「はい、すぐお伝えしました。相手の要望通りにしろとおっしゃってます」
「よしっ!」
 ガフィルダより先に声を上げたのはシザークだった。得意げに指を鳴らすと、フィズの肩を強く叩く。
「お前は今すぐ帰れ! 用事が済んだら、すぐに戻って来い!」
「え? で、ですが…シザーク様?」
「大丈夫だって! ナスタだって鬼じゃない」
 シザークはそう言うと後ろを向いて、すぐそばにいるカルナラへも声をかけた。
「交渉は延期になったんだろ? だったら、彼の代わりもいらないよなっ」
「……まぁ、そうですね」
 否定も肯定もできない、というようにカルナラが答える。シザークはそんなカルナラを見つめ、笑っていた。
「ほら、早く行って来いよ! 妹が待ってるんだろ!」
「は、はい!」
 その声に押されながら、フィズが慌てて会議室を出て行く。
「あ、ちゃんと届けは出しとけよ〜」
 後ろ姿にシザークが叫ぶと、それと同じ調子の言葉が返ってくる。
「シザーク様よりわかってます〜!」
「……なんだと?」
「あっ!」
 フィズは改めてシザークへ向き直った。
「シザーク様のお言葉に感謝致します」
 彼がそう言って深く礼する。そしてもう一度シザークの顔を見ると、詰め所の方へ駆けて行った。
「……」
「伍長? 何かあったんですか?」
 シザークの姿を見つめていたガフィルダは、廊下で控えていた同僚の一言で我に返った。
「い、いえ」
「あの、アルトダ伍長。交渉に関してナスタ様から至急まとめて欲しい事項があると」
「わかりました、すぐ行きます」
 ガフィルダはそう告げると、足早に自分の席へ戻った。机上に残した書類を集め、片手に抱える。
 そして無意識に視線が二人の元へと向かって、ガフィルダは気が付いた。シザークが満足そうに微笑んでいた事に。
 その表情に、ガフィルダはただ見入っていた。
 とても嬉しそうな表情の中の、あたたかい瞳。そこには穏やかさだけではなく、強さも感じられる。
「どのくらい延期になったかも確認しないで……」
 呆れるように言うカルナラへ、シザークが自信に満ち溢れた笑みを返す。
「フィズ准尉ならすぐ帰ってくるって」
「ですが」
「お前も妹がいたら心配になるだろ?」
「そ、それは」

――シザーク様

 ガフィルダはずっと、シザークを見つめていた。
 シザークとは直接関係がないのだから、見過ごす事もできたはずだ。だが、彼は見過ごさなかった。
 あの嬉しそうな顔は、自分の思い通りに物事が進んだ事への喜びなのだろうか。
 それとも、相手へ向けられた純粋な想いの表れなのだろうか。
「!」
 カルナラを残し、シザークが一人で会議室を出て行くのが見えて、ガフィルダも急いで廊下へ出た。
 とっさの行動で、ガフィルダ自身、自分が何を考えていたのかわからなかっただろう。書類を抱えたまま、飛び出すように会議室を後にしていた。
 窓から射し込む光を浴びたシザークの姿が、彼の目に映る。

――この方なら 変えられるかもしれない

 考える前に、行動が先に出る。
 その後ろ姿へ、駆け寄っていた。ただその光へ手を伸ばしたい一心で。
「シ、シザーク様!」
「えっ」
 突然の声に、シザークが何気なく振り返る。
「ん? アルトダ、どうした?」
 彼の青い瞳が揺れた。自分の前で息を切らしているガフィルダを、不思議そうに見つめている。
「あ……」
 その表情があまりにも無邪気で、ガフィルダは言葉を口にする事を忘れたかのように、ただ黙ってしまった。
 本当は言いたい事がたくさんあったはずなのに。
「……」
「なんだなんだ? お前もオレの美貌に言葉を失ったか?」
 そう言ってシザークがニヤリと笑う。
 こんな時に彼へ声をかけるのは、いつも決まってこの人物である。
「そんなわけないでしょう」
 横から顔を出したカルナラに、ガフィルダの表情に戸惑いが浮かんだ。
 カルナラは首を折るように自分よりも背の低いシザークを見つめてから、ガフィルダへと視線を移す。
「アルトダ伍長。シザーク様に何か?」
「い、いえ」
 ガフィルダは慌てたようにうつむいて、足を後ろへ引いた。
「わ、私の勘違いだったみたいです」
「ん? そう?」
 シザークが口を少しだけへの字に曲げて、首を傾げる。
「はい。失礼しました」
 深く頭を下げるガフィルダへ、シザークは左手を腰に当て、笑いながら答えた。
「いいって。気にするなよ」

――「あの方はいつもそうです。決して他の者をないがしろにしたりしない」

 再びガフィルダが顔を上げた。
 長い廊下を進んで行くシザークと、彼の少し後ろを歩くカルナラが見える。
「オレも看病に行こうかな〜。フィズ准尉の妹って、カルナラ、見た事ある?」
 シザークは両腕を頭の後ろで組み、カルナラへ振り返った。
「いえ。シザーク様ならきっとすぐ追い返されますよ」
「なんだとっ?」
 カルナラの皮肉めいた笑みに、シザークが口を歪ませている。
「大変な騒ぎになるでしょうね」
「変装すればバレないだろ」
「どうせ隠し通せないでしょう? シザーク様はすぐ感情的になるんですから」
「カルナラってイヤミ〜」
 まるで兄弟のようなやり取りだった。
 その横を通り過ぎる城の者達にとっては見慣れた光景のようで、特に気にする様子もない。
「……」
 ガフィルダはしばらく二人の姿を見つめ、感じていた。
 シザークの眼差しに強い力がある事。そしてその瞳は、彼のすぐ隣にいる人物へも向けられているという事を。



 私の心に、シザーク殿下の明るい笑顔が強く残っていた。
 あの時から私はずっと、彼の行動を見てきた。だから、こうする事を選んだのかもしれない。
 それでも心のどこかでは、彼の言動は全て偽りかもしれないと思っていただろう。
 自分の気持ちに対して、自信が持てなかった。

 けれど、信じたかった。
 シザーク殿下を。そして、そのそばで見せる兄の表情を。
 たとえ母親の命を握られていようとも、偽りではあんな表情は作れない。


 シザーク殿下には強さがある。
 自身の心を伝えられる強さと、立ち向かえる強さ。
 そして、周囲の者を信じ、誰かを大切に想える優しさがある。

 だから、私はシザーク様を信じたんだ。

 あの方ならきっと……母を光の下へ連れ出してくれる。
 その後でなら私はどうなってもいい。
 兄が私を知らずにいても、たとえナスタ様に殺されても。



 そして 私は その"光"に 願う



 「お願いです。母を……助けてください」




――「アルトダ・ガフィルダ」完――






――「あとがき」――
Legend of  The Sky(執筆者のサイト)




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