トレモロ BL18禁

トレモロ42 朱に染まるタレン

 フィズとアルトダが会場に戻ると、オクトが凄い剣幕で女性に詰め寄っているところだった。
「どうした?」
 眉を(しか)め、フィズが声を掛ける。
 そばでは、カードを持つ手を止めてアシュレイがオクトのことを見ていた。
 女性は半泣きのまま、フィズに助けを求めた。
「何度説明しても理解してくれないんです! 私はただ頼まれただけなのに!」
 話が見えない。
 女性も涙がどんどん溢れてきて話にならない。アルトダが他の侍女に声を掛けて奥へ連れて行ってもらった。
「マイル、どうしたんだ? 女性を泣かすのは感心しないぞ?」
「それどころじゃないんです」
 オクトはイライラしていた。
「フィズ少尉、カルナラ中尉を見ませんでしたか?」
「カルナラは見てないけど、陛下なら見たぞ?」
「陛下を!? どこでですか!?」
「廊下の奥のほ――おい! 最後まで話を聞け!」
 慌てて駆け出したオクトは、はっと思い出し振り向いた。
「アシュレイ殿下、すぐに戻ります! 待っていてください!」
「うん。早くタレン、見つかるといいね」
 アシュレイが手を振る。
 アルトダが小首を傾げ、不思議そうに聞いた。
「殿下はマイルと仲良しなんですか?」
「うん! お友達になったの。オクトってすっごく優しいから僕 好きだよ!」
 
 アシュレイとオクトが友達。
 オクトが凄く優しい。

 二人に衝撃が走った。
「一体、俺らのいない間に何があったんだ……?」


 ――ビダン。
 食品庫の扉が鈍い音を立てて閉じた。
 タレンはハッとした。
 ナスタの瞳が紅く爛々としている。
「ようこそ、我が館の食品庫へ。他の連中が来る間、私が退屈しないように相手をしてやろう」


 ズルズルズル。
 厳かな衣擦れの音がする。
 シザークは隠れた倉庫から飛び出し、衣擦れの主を引っ張り込んだ。
「ぬわっ!!」
「シィー!!」
 捕獲に驚いたカルナラの口を塞いだまま、シザークは少し開けたドアの隙間から食品庫の様子を伺った。
「ぷはっ。シザーク様一体……」
「ナスタとタレンがあの中に入っていった。まだ何事も無いけど、怪しい動きがあれば乗り込むから覚悟しとけよ」
 作戦はまだ実行中だ。カルナラが担うはずだった役をナスタが務めることになったのは、果たして幸か不幸か。
 中にいるタレンを思うと涙が滲む。
「タレンが出て行った後、マイルがしきりに廊下ばかりみてたぞ。あれは相当タレンが気になってるな」
「先程見ていて思ったんですが、あの二人、雰囲気はいいんですが、タレンはマイルに対して普通の感情しか見えません。もしや、マイルの一方通行なのでは? とちょっと不安になってきまして……」
 シザークはにやりと笑って言った。
「もしそうだったとしても、これで助けに来たマイルに、タレンが惚れるかもしれないぞ。ナスタに怖い目に会わされた後、颯爽と現れるマイルに惹かれても不思議じゃない」
「……シザークはあの時助けに来た私のことカッコいいとか思ったんですか?」
 目が合う。
 シザークは緊張に耐え切れず、すぐ泳ぎだすが、カルナラはずっとこちらを見ていた。
「シザーク……」
「うわ、馬鹿! こんな状況で盛るなよ!」
「入れるまではしません」
「こっ……変態!」
 シザークを押し倒そうとしたカルナラの行動を制したのは向かいの部屋からの音だった。

 かすかにタレンの声が聞こえる。
「やっ! やめてください!」
「その怯えた表情が堪らないな」
 扉が閉まったあと、食品庫の薄暗い中でナスタはそう笑った。しかしそれは口元だけだ。目だけはまっすぐにタレンを見つめていた。
「それにしても、そのメモの主、なかなかいい趣味をしているじゃないか。食品庫には色んなアイテムがあるからな。たとえばこのトマト……」

 熟れて美味しそう。
 という雰囲気ではない。

 不敵な表情で手に取ると、トマトは無残にも潰されていく。
「おや、手が汚れてしまった。お前……そう、タレン・ウォレスだったな。タレン、綺麗にしてもらえないか?」
 紅く染まった手を見てタレンは顔を引きつらせた。
 暗闇の中で冷淡に笑うナスタは、悪魔のように美しい。
「早くしろ。私は待つのは嫌いだ」
 さあ、と手を鼻面に近付けられ、タレンはポケットからハンカチを取り出した。トマトの青臭さが鼻腔を侵す。
「違うだろう。舐めて綺麗にするんだろう?」
 突然トマトがタレンの顔に押し付けられた。
「うわ……ぷっ」
 反射的に仰け反り、後ろに積んであったダンボールに倒れこんだ。中身はほとんど空だったらしく、潰れながらタレンを受け止める。
「やっ! やめてください!」
 タレンは声を荒げた。
「……SPの分際で私に逆らう気か」
 蔑む様に見下ろされ、思わず息を呑む。
 いつもの彼とは少し違う。

――ナスタ様はその……酒乱、なんだ。

 突然カルナラの言葉が頭を過ぎる。
(ど……どうしたらいいんだろう)
 困惑しているうちにナスタがタレンに馬乗りになって言った。
「弱い犬ほどよく吼えるものだ。お前の鳴き声を私に聞かせてみろ」


「やばいな」
 食品庫の向かいの倉庫のドアの近くで冷や汗をかきつつ、シザークが呟く。
 自分が提案した事で、タレンに余計な危害が及ぶのは、やはり申し訳ない。
「仮にもSPなのに、かわせないんですかね」
 見慣れている為なのか、案外冷静にカルナラが小声で返す。
「それ、お前が一番言えないと思うぞ」
「どうしてですか」
「……言わせるなよ。情けなくなるだろ」
「貴方が?」
 不思議そうな顔をしているカルナラに聞こえないようシザークは口の中で言った。
「お前が、だよ……ナスタにいいように弄ばれてるだろ……」
 こんな事を考えてる場合じゃない。
 そう思い直して、廊下を挟んだ食品庫の小さな窓を通して、中をもう一度垣間見る。
「とにかく、オレでもナスタの攻撃を避けるのは難しいんだ。タレンじゃ無理」
「助けに入りますか?」
「ああ、もう早く来いよ、オクト」
 思わず名前で呼んでしまい、慌てて口を塞ぐ。
 あからさまに不愉快そうな顔をしたカルナラの視線を避けて、シザークは考えるフリをした。

 そうしている間にも、食品庫の中ではタレンの悲鳴が響く。トマトだらけの指を無理やり口につっこまれ、なんとか手でそれを外そうとしているタレンが見えた。

「うーん。うーん」
 想定外の展開に悩むシザークにカルナラが溜息をつく。
「貴方の考える事だから、そんな予感はしてましたよ。彼を助けましょう。あれじゃあまりに可哀想だ」
 同病相憐れむ。
 カルナラはシザークの返事を待たずに立ち上がった。
「カルナラ、お前、酔ってる時は何にでも強気だよな」
 シザークの呟きは聞こえず、カルナラはドアの鍵が掛けられている事を確認して言う。
「ここからでは入れませんね。前にこの厨房で『した』時、中のドアが繋がってるのを見た覚えがあります。そこへ回り込みましょう! 行きますよ シザーク!」
「ああ、わかった」

 シザークがカルナラの酔いっぷりに辟易(へきえき)しながらも、廊下の更に先に在る厨房のドアへ向かって走り出す。
「重い……」
 走りながら邪魔な衣装の裾をたくし上げ、カルナラも後に続く。厨房のドアをシザークが開けて中を覗くが、
パーティ用に使用している厨房とは違い、こちらは閑散としている。

「よし、行くぞ」
 言って、シザークが厨房の中へ足を踏み入れた。
 その時、厨房のドアから見て、食品庫とは反対の廊下の角から、唐突に走り出てきた影があった。