トレモロ BL18禁

トレモロ68 ナスタの思惑 シザークの野望

「よかった、ですね」
「ああ。もう盗られないように気をつけような。……カルナラ、さっきナスタが言ってたことだけどさ」
「ナスタ様の冗談、ですよね?」
 ナスタを見ると、「そうだ」と忌々しそうに言う。

「それにしてもお前達のそのタイミングの悪さは何なんだ。今回もそのタイミングの悪さで 何度美味しいシーンを逃したことか」
「ナスタ、お前やっぱり……」
「薬など盛ってはいないぞ。そうなる可能性が高いものはひとつあるが……」
 シザークとカルナラは顔を見合わせた。
麝香(じゃこう)の香りだ」
「麝香!?」
 鼻を動かすと、かすかに甘くけぶるような香りがする。
「麝香には媚薬効果もある、と聞いたこともある。私には効かないが、それがお前達には効いてしまったのだろう」
「この匂いって(こう)? ……いつも屋敷内で焚いてた?」
 いぶかしがって訊ねるシザークに司会の男が、ナスタを横目で見ながら答えた。
「いや、香水。俺がナスタさんにプレゼントしたんだよね!」
 香水にしては広範囲で香りすぎているような気がした。だがシザークは、それ以上の追求をするのはやめてカルナラに「じゃ、帰るか」と告げる。
 部屋を出る前にカルナラは深々とお辞儀をして、ナスタに恭しく礼を言った。
「ナスタ様。本日は、私の為に盛大なパーティーを開いてくださってありがとうございました。より一層、仕事にも邁進していきたいと思っています」
「ふん。仕事の前に、妙にヘタレた性根を直せよ」
「何度でも否定しますけど、私はヘタレてませんから」
「お前がヘタレでないなら、一体誰がヘタレてると言うんだ? もはや、ヘタレはお前の代名詞だぞ」
「どこでそんな事になってんですか……まったく」
「いいよ。ヘタレてても」
 カルナラの腕に軽く自分の腕を回したシザークが、楽しそうに言う。
「普段まで偉そうにされたんじゃ、オレもキツいしさ。今のカルナラで、ちょうどいい」
「シザーク……」

 素直に喜ぶべきなのか。
 それとも肯定されたヘタレを改めて否定した方がいいのか。
 どう反応したらいいのか判断しかねたおかしな顔をして、カルナラがシザークを見た。

「"普段"じゃない時は、カルナラが偉そうなんだな?」
 ニヤつくナスタにはっとして、シザークは慌ててカルナラの手を引いて部屋を出て行った。

 ドアが閉まってしばらくしてから、司会の男がナスタの前に向かい合わせに座り込み、手をついて頭を下げた。
「ごめん! さっき、つねっちゃった」
「構わない。後で罰は与えるつもりだった」
「ええ……助けてあげたのにぃ」
「何の事だ」
「ムスク。俺、プレゼントしてないでしょ」
「ああ」
 不敵な目をして、ナスタが男を見下ろす。
「お前にしては上出来だったな。微かだが、屋敷中に香を焚いている事に、あいつらも気づかないわけはないだろうが。お前がああ言えば それ以上、責め立てもするまい」
「なんだ。やっぱり確信犯だったの?」
「どうかな。結果オーライだ」
 ナスタは軽く笑い、男の服の肩をひっぱりあげて立ち上がらせた。
 男はナスタにそのまま抱きつく。
 ナスタの耳を甘噛みしながら、囁いた。
「ナスタさんに効かなきゃ、意味ないよね。この香り」
「……は。馬鹿だな。香りなんか無くても」

 チュ、と言う音がして、その後、シン……と静まった部屋の外。
 シザークとカルナラが気配を殺して、そっとドアから離れた。

「危ない、危ない。あれ以上 あそこに居たら絶対ナスタか あの大男が出てくる予感」
「はは。シザークも少しは学習されてるんですね。で?」
「で?」

 途中、アルトダとフィズに、もう帰るようにと声をかけ、シザークとカルナラは腕を絡めたまま、正面玄関へ続く廊下を歩いていった。

「麝香の事ですよ。さっき わざわざドア前に潜んで確認しなくても、香水じゃないのは気づいてたんでしょう?」
「まあな。でもいいんだ。指輪は無事、帰ってきたし。お前へのお祝いもあれで出来たことになるのかな?」
「あれ? まさか逆転プレイの事じゃ……」
 眉を吊り上げるカルナラに シザークが笑った。
「違うよ。パーティ。どう? 主賓になった感想は?」
「はい……えーと。疲れましたが、色々と楽しかった、ような」
「じゃ、良かった」
「ありがとうございます」
 疑いもせず微笑むカルナラを見ながら、シザークは胸の内で やや邪な思考をしていた。

 良かった。

 今日半日は、衝撃的な事も沢山見てしまったし、まぁ不愉快な事もなきにしもあらずだったが、主賓でないオレまで実に充実していた気がする。
 麝香もあのままでいい。
 別邸に行ったら、また"そんな気分"になれるかもしれないんだから。
 そうなら、きっと今日みたいにスムーズに事が運ぶに違いない。
「カルナラ」
「はい?」
 ――また、オレにも入れさせろよな?
 綺麗な顔の主は、今はその言葉を飲み込んだ。


〜トレモロ 完〜